プライドがあると人生半分損する?!
はじめに一言、ここでいうプライドとは自尊心というよりプライドが高いというような表現を使う時のネガティブなプライドです。
いかにもプライドが高い(高そうな)人は別として、こんな人は要注意!
・一見優しそうでにこやかな人
・謙虚なつもりでいても実は他人の言うことを聞かないマイペースな人
てかね、よほどの善人でない限り人間ってこういうところ持ってると思います。えぇかくいう私も夫もそういうところありますねぇ、認めます^^;
これプライドからであることを自覚していない人は多いと思いますが、分かりにくいネガティブで実に厄介なんですよね。
プライドが強い態度だと誰かが何かその人のために気づいたことを善意で伝えてあげたいと思っても、
「この人全然話聞かないしまぁいいや」
「自分の意見主張してくるから面倒くさい」
「何か自分持ってるって感じだし助言不要かな」
って躊躇されて情報提供してもらえなくなっちゃうんですよね。
これ、経験アリマス^^; それってね、要するに何か言われるのを怖がってるんだと思うんです。
自分自身を持っていることはいいとして他人の意見に耳を傾けられない態度でいるのは、実はディフェンス=守りに入っているのですよね。何かしらオフェンス=攻撃されると思っているのです。
こうなる心理として。小さな自分を守りたいんですよ、怖れてるんですね。
自分が正しい=相手が間違っているという図式でなく、自分も相手もオッケーというスタンスならひとまず相手の話も聞けるはずでその上で建設的な取捨選択ができると思うんですよね。
怖れの裏には承認欲求があるのでしょう、私を認めて〜!という。
真の自尊心は自らの内から湧き出てくるもので、他からの承認は基本必要ないはずですよね。
こういうプライドが表なり裏なり潜んでいるとネガティブが巡るだけなんですよね、自分にとって有難い情報も誰かの優しさもそういうポジティブを遠ざけてしまいます。そういう意味で「人生半分損」、半分どころか相当残念なことなんだなと書いていて思いました。
まずは自分と相手は違う!とか密かにでも私が正しい!と思い始めたら、「あぁ今プライド出てきたな…」と感じたい。プライドがあることを認めてしっかり感じ、ただそのままにしておくと自然にシフトしていける。
そんな小ささを守らなくても相手も自分もただ受け入れられる勇気が自分にはあるって。その方がきっと幸せ、正しい間違ってるでなしにね。