どうして「手放し」に行き着いたの?vol.2
vol.1の続きです。
執着を手放すと出会えるらしい
夢、ミッション、ビジョン、など。
必死になって答えを探せば探すほど、一体何が本当なのか分からなくなる。
掴もうとするほど、よく分からなくなる。
それは人間なら誰でもある執着の仕業。
人間である証でもあるから、そこは自分をジャッジせず。
欲しい欲しいと欲しがるよりも、いま目の前でやっていることをとにかく一所懸命やるしかない。
そのうちに新しい展開が開けてくるみたい、自分の人生を振り返ってみると改めて思う。
今回の「手放し」もその流れで、来た。
手放す、リリース、それが大切なことは随分前から知っていたはず。
だけど、ここまで「手放し」が肝だと肚落ちしたのは今回のタイミングだった。
そっか、感じて手放すこと以外は何も要らないだ
夫と2人でほぼ毎朝感情のシェアをしているんだけど、最終的にいつも同じ結論に達する。
結局、感じて手放すことだね
日々色々な人と接するし、色々なことが起きるし、色々な感情が湧き上がってくる。
無意識で気づいていない感情もあって、何でこんなに囚われているのかと苦しい時もある。
ホーキンズ博士の本に中々手放せないのはカルマの影響もあるかもしれないとあった。
実際前世療法を受けた時にカルマの影響をかなり受けていることは知った。
にしても、感じて手放すことでそれも随分和らぐというのは夫と意見が一致している。
思考は感情が元になってとめどなく溢れてくるし、自我の影響で思考にしがみつきだがる。
もっともらしく思考で結論を導き出しても、結局根底にある感情を手放せていないと同じ問題が繰り返し起こる。
感情を感じて手放すことでグルグル巡る思考の負のループを止めると、ワープするみたいに新しく着地することができる感じがしている。
どんなに困難に感じることも、どんな人に対しても、手放しは強力な味方になってくれると私達は確信しています。
vol.3に続く