> Columnエトワールコラム > 「全ての怒りは100%自分自身のせい」

「全ての怒りは100%自分自身のせい」

2017.05.09

GW前半は私もお出かけしてきました

そこで少しイラっとしたことがあったのです

とあるバーへ主人とお出かけしました

そこでの店員さんの態度…、態度…

エアコンの風力が強くて「風が強くあたるので何とかなりませんか?」と言うと

「皆さん、そうですので・・・」

果物系のカクテルで店にある果物を聴き、苺と話されたので頼むと、、

「苺は旬を過ぎていますので・・・」

甘さ控えめで爽やかだけど炭酸は使わないで、とお願いすると

「爽やかなのに炭酸はナシですか・・・」

おい、どないなっとんねん?
オーナー呼べや(オーナー不在)

と、ブチ切れそうになる私

期待して来たのに、気の利かない接客

昔の私ならガッツリ説教して1杯タダにしてもらわなきゃ気が済まないレベル

だが、絶賛心の訓練中の私は自分に言う「どうどうどうどう、私は心の訓練中よ」

相手は私、これは私の心の投影のはず(←この時点では100%認められていない)

でも少しずつイライラは引いていった

どうやら新人の店員さんらしく、不器用で融通の利かない、まぁ正直な若者なのだ

にしてもいつもように2杯は飲まず1杯で、その店は後にした

飲み直そうと違う店に行くと、何とまた同じようなことが起きたのでした!

同じく、新人の店員さんらしく、不器用で融通の利かない、まぁ正直な若者なのだ

サングリアを頼んでいるのに繰り返しグラスワインを持ってきちゃうというね…、知らんのかサングリア…

もうこの時点では完全に「あぁ、私の投影」と100%認められ、何だか笑えてきました

100%自分の投影であるとしっかり認めない限り、繰り返し目の前に現れるんですよね

そういえば、2日前にチェックインする際もフロントレディで同じようなことあったな

自分の癖ですね、気が利かない人に対するイライラは…(特に店員さんとかね)

この「気が利かない」もいわゆる自分の基準だったりするわけですよね

「普通はこうでしょ?」

「名店だったらこうするでしょ?」

と、何様でもない私が分離を選んで上から目線でジャッジしているだけ

状況違えど、私にも慣れないことや知らないことは山ほどあるわけです

以前OLだった頃に「やれてる」「できてる」と思っていた諸々が今から思うと詰めが甘かったり社会を知らなかったり

それでも相手や環境のせいばかりにしていた、クソ生意気な若者だったな…

まだこちらの若者の方が可愛らしいくらい…

クソ生意気な私でも可愛がってくれる優しい大人がいたなー、素晴らしかった!有難い

そして自分の投影を認め、自分も相手もなく、全てを「赦そう」と自然に思えてきました

そうすると何となく暗く嫌な気分もすーっと消えていました。「癒された」のですね

心の訓練は誰でも必要です

人は誰かの何かのせいにしたがる

でも、他の何かなんて何もない

全部、全部、自分のせいなのです

だからといって、自分をせめる必要もない

ただ心の選び方を間違えてしまっただけ

間違えることは悪いことでない

誰でも起きること

間違えたら、間違いを認めて選び直すだけ

相手も自分もないのだから、全てを赦そう

簡単にできる時とそうでない時があります

それでも、心に向き合うことが大切

赦すと自分の心が愛ある幸せな心で満たされます。癒しが起きるのです

そうすると不思議なもので(何も不思議じゃないんだけど)状況も変わってくるのです

これは、心の訓練は、誰でも必要です

コーチもビジネスマンも起業した人も主婦も男も女も大人も子供も、みんな同じです

学びの多いGW前半でした~

日々、毎瞬、心の訓練は続きます^^